「水戸って、梅のイメージあるよね。」
地元に住んでいる人、観光で訪れた人、あるいは名前だけ知っている人でも、こう感じたことがあるかもしれません。
それもそのはずです。水戸のまちには、約3,000本もの梅の花が咲き誇ります。春の訪れとともに、まち全体がふんわりと甘い香りに包まれる。
そんな季節の風景が、長年大切にされてきたからです。
今や“梅のまち”として全国に知られる水戸。
その原点をつくったのが、江戸時代後期の水戸藩第9代藩主・徳川斉昭(とくがわ なりあき)でした。
彼は、幕末に活躍した最後の将軍・徳川慶喜の父としても知られ、
非常に改革的で、時に過激な行動も辞さない性格から「烈公(れっこう)」と呼ばれていました。
そんな斉昭が、なぜ「梅」に強いこだわりを持ったのか?
そして、なぜその想いが今も水戸の文化として根づいているのか?
この物語は、江戸時代末期のある“庭園”から始まります。
「心を解く庭園」偕楽園に託された意志
水戸を代表する名所・偕楽園(かいらくえん)。
金沢の兼六園、岡山の後楽園と並び「日本三名園」に数えられるこの庭園は、今では茨城を訪れる観光客の定番スポットとなっています。
その誕生は1842年。徳川斉昭の手によって築かれたものでした。
庭園としての美しさだけではなく、ここには彼独自の教育思想が色濃く反映されています。
斉昭は、藩士たちの教育の場として藩校「弘道館(こうどうかん)」を整備しました。
身分を問わず学問と武道を学べる開かれた学校で、文武両道を徹底する教育の場でした。
しかし、斉昭はそれだけでは不十分だと考えます。
「学ぶ」ことに張り詰めすぎず、心をほぐす“ゆるみ”の時間も必要なのではないか。
そうして生まれたのが、「弘道館に隣接したもう一つの学びの場」――偕楽園です。
この考えは、中国古典『孟子』にある「古の人は民と偕(とも)に楽しむ」という一節に由来します。
「藩主である自分だけが楽しむのではなく、藩士や領民と共に心を育てる場を」――。そんな斉昭の想いが、“偕楽園”という名に込められたのです。
梅に託した理想の生き方と実用の知恵
偕楽園には現在、約3,000本、100種以上の梅が植えられています。
これほど多くの梅をあえて植えたのは、斉昭が梅という花に特別な意味を見出していたからです。
梅は、冬の寒さにじっと耐え、他の花に先んじて春一番に咲きます。
その姿に、斉昭は「困難にあってもくじけず、時を待って力を発揮する人物像」を重ねたといわれています。
つまり、花が咲くまでの“静かで厳しい時間”をどう過ごすか。
そこに人としての強さや誇りを感じていたのです。
それは、教育者・指導者としての彼が、藩士たちに最も伝えたかった人生観でもありました。
もう一つ、梅を選んだ理由には「実用性」もあります。
梅の実は、梅干し、梅酢、梅肉和えなど、保存食や薬用としても使える優れた植物です。江戸時代にはまだ砂糖が高価であったことから、梅の自然な酸味や塩気は貴重な調味料や健康食品でもありました。
偕楽園に植えられた梅は主に観賞用ですが、「美しいだけでなく、役にも立つ」というバランスの取れた思想が、そこには込められていたのです。
「水戸の六名木」に見る、品種と美意識の融合
偕楽園の梅の中には、特に優れた6品種が選ばれ「水戸の六名木」と呼ばれています。
その代表格が「烈公梅(れっこうばい)」――
斉昭の異名「烈公」にちなんで命名されたもので、薄紅色の一重咲き。凛とした気高さを感じさせる品種です。
他にも、
- 月影(つきかげ):白色一重で大輪。柔らかな光のような品のある姿。
- 虎の尾(とらのお):八重咲きで、蕾は淡紅色から白に変化する美しさ。
- 白難波(しろなにわ):中輪の白八重咲き。控えめながら上品。
- 柳川枝垂(やながわしだれ):淡紅色で、風に揺れる枝垂れ姿が優雅。
- 江南所無(こうなんしょむ):深紅の八重咲き。華やかで存在感がある。
これらの梅は、花期の違いや景観との調和まで計算されて植栽されています。
偕楽園は、自然の寄せ集めではなく、思想と美意識の「設計図」だったのです。
梅の花が教えてくれる「待つということ」
梅は、桜のように一斉に咲き誇る派手さはありません。
咲き始めは静かで、花も香りも控えめ。けれど、寒さを超えて少しずつ咲いていく姿には、どこか見る人の心を落ち着かせる力があります。
水戸の人たちは、そうした梅の姿とともに春を待つ時間を重ねてきました。
開花の“前”にこそ美しさがある。
花が咲く瞬間だけでなく、それを待つ“凛とした時間”を味わう感覚が、このまちの文化として根づいているのかもしれません。
そんな「梅を待つ時間」は、食文化にも繋がっていきます。
江戸後期、庶民の間では梅を使った保存食や薬酒の文化が少しずつ広まりはじめていました。
私にとっての「梅の時間」
3月末ごろに、妻の実家から「今年も梅ジュース漬けたよ」という連絡がありました。
毎年この季節になると、妻のおばあちゃんが梅を洗い、ヘタを取り、瓶に詰めて氷砂糖と一緒にじっくり漬け込んでくれます。
炭酸で割って飲むと、ふわっと広がるあの爽やかな香り。
あれを味わうと「ああ、今年も夏がくるんだな」と感じるんです。
でも、あの梅ジュース、実はけっこう手間がかかるんですよね。
梅をひとつひとつ丁寧に洗って、ヘタを竹串で取り除いて、清潔な瓶に入れて……と、すごく地道な作業が続きます。
「漬ける」って、ある意味“待つこと”の最たるものかもしれないなと思いました。
すぐには飲めない。でも、ちゃんと手をかけたぶん、ちゃんとおいしくなる。
そんな“梅と向き合う時間”を思い出すたびに、
徳川斉昭が偕楽園に込めた「梅を待つ時間にこそ意味がある」という考えが、少しだけ自分の中にもある気がしてきました。
次回は、江戸時代から少し時代が進み、梅が観賞により心を休ませる為の対象から、家庭の中で“育てる味”として浸透していった頃のお話をお届けします。