梅と氷砂糖、そして焼酎。
瓶に材料を入れて、そっと置いておく――
かつて、梅酒はそんな「家庭の味」として、日本中の台所にありました。
季節になると青梅を買い、丁寧に洗って漬け込む。
日付と名前を書いたラベルを貼り、「美味しくなりますように」と願いながら戸棚にしまう。
そうして数ヶ月、あるいは何年も寝かせて、来客やお祝いの席でようやく瓶が開かれる。
そんな“時間をかけて育てる酒”こそが、昔ながらの梅酒だったのです。
変わりゆく暮らしと、消えゆく瓶
昭和中期以降、家庭で梅酒を漬けるという習慣は、少しずつ姿を消していきます。
都市化、住宅事情の変化、そして暮らしのスピード化によって、「瓶を置いておく」スペースも、「梅を漬ける」余裕も、いつしか非日常となっていきました。
それとともに、子どもたちが「祖母の家で飲んだ味」を懐かしむようになったのも、ある意味自然なことだったのかもしれません。
梅酒は、手間のかかる酒。
けれどだからこそ、「人の記憶に残る酒」でもありました。
台所の文化を、蔵が受け継ぐということ
そうした“家庭の梅酒文化”に、いち早く目を向けた酒蔵があります。
それが、茨城県水戸市に本社を構える、明利酒類株式会社です。
1856年(安政3年)創業の老舗でありながら、明利酒類は時代の変化とともに新しい酒づくりにも積極的に取り組んできた蔵です。
1960年、まだ一般家庭での梅酒づくりが盛んだった時代に、明利酒類は梅酒製造免許を取得。
その頃からすでに、「家庭で作られてきた味を、プロの手でも守っていけるのではないか」という構想があったのかもしれません。
家庭では手に入らない質の高い梅や酒を使い、温度や熟成期間を調整しながら、安心して飲める“誰かの記憶に残る梅酒”を!
そうした想いは、やがて梅酒づくりというかたちで具体化され、現在もリキュール製品の一端を担う存在となっています。
「家庭の梅酒文化」は、消えてしまったのか?
家庭で梅酒を漬ける風習が減ったからといって、その文化まで失われたわけではありません。
祖母が漬けてくれた味、久しぶりに開けた瓶の香り、年ごとに変わる風味の記憶。
そうした一つひとつが、梅酒という存在を単なるお酒ではなく、「時間や人のつながりを内包した文化」にしてきました。
酒蔵がそれを受け継ぐとは、単に同じ材料で商品を作るということではありません。
誰かの台所で生まれていた時間の記憶を、いかにプロとして磨き、形にしていくのか。
その問いと向き合うことこそが、文化を継ぐという営みなのだと思います。
そして今、その記憶は、「酒蔵の手」によって新たなかたちで受け継がれようとしています。
「百年愛される梅酒」という挑戦
「台所で育った梅酒の文化を、百年先にもつなげたい」――
その想いのもと、明利酒類はある一本の梅酒を世に送り出します。
それが、「百年梅酒」でした。
かつて家庭で丁寧に育てられていた梅酒を、
蔵元としての技術であらためて形にしていく——
その一歩が、この酒に込められていたのかもしれません。
家庭の味に宿っていた“時間”と“記憶”を、
蔵の技術で再構成し、より確かなかたちで未来へと届ける。
次回は、「百年」という名前に込められた想いと、
その味わいがどのように設計されていったのかをたどっていきます。