なぜマッカランを飲むと「ただのウイスキーじゃない」と感じるのでしょうか。
その奥にあるのは、200年前から脈々と受け継がれてきた“哲学”です。
このシリーズでは、創業者アレクサンダー・リードの生き方と考え方をたどってきました。
教師として、農夫として、そして蒸留家として「育てること」に真摯だった彼の姿勢は、マッカランの一杯に今も受け継がれています。
最終話では、彼の哲学が現代のマッカランへどのように受け継がれているのかを見つめながら、
マッカランを味わうという体験そのものが、どのように私たちの時間に影響を与えるのかを掘り下げていきます。
マッカランの味に、200年の哲学が宿る理由
なぜマッカランは、飲んだ人の心に“何かが残る”ウイスキーとして語られるのか?
その理由は、創業者アレクサンダー・リードの信念にあります。
「すべてを売る必要はない」
リードは、そう考えていたと言われています。
自ら育てた大麦を、すべて製品にするのではなく、“ほんのわずか”を選び抜いて蒸留に使う。
その姿勢は、量よりも質を選び、「育てること」に真摯だった彼の哲学そのものでした。
この選び方の美学は、200年を経た今もなおマッカランに受け継がれています。
大麦の選定基準、樽の管理、熟成期間へのこだわりは、どれも「できるだけ多く作る」こととは真逆の方針で続けられているのです。
グラスの中に感じる深みや余韻は、ただの“味わい”ではなく、リードが残した哲学と、それを受け継いできた人々の価値観が、宿っているのです。
“選ばない勇気”が、ブランドをつくる
マッカランの品質は、「選ばない勇気」によって支えられています。
リードは、ウイスキーづくりにおいても、素材や工程を徹底的に絞り込む姿勢を貫きました。
よく知られているのが、熟成樽に“赤いチョーク”で印をつけていたという逸話。
「この樽だけは間違いない」という信念を、自らに示すための習慣でした。
その思想は、現代のマッカランにも明確に受け継がれています。
たとえば蒸留の過程では、生成されたスピリッツのうちわずか16%程度の「ミドルカット」部分しか採用しないという厳格な基準を設けています。
残りの84%はボトリングされることなく、使われないのです。
こうした「すべてを売らない」姿勢は、利益ではなく“誇れる味”を最優先する哲学の現れです。
マッカランは、ブランドとして「語れる背景」を持ち続けている数少ないウイスキーの一つだと言えるでしょう。
答えが見えない夜に寄り添う一杯
だからこそ、マッカランは“すぐに答えが出ない夜”にこそ飲みたくなるウイスキーなのかもしれません。
忙しさに追われ、立ち止まることすら難しい日々。
「今日は、これでよかったのか」
「もう少し違う選択もあったのではないか」
そんなふとした迷いに向き合う時間に、マッカランはそっと寄り添ってくれます。
これは、リードの哲学にも通じる感覚です。
早く、たくさん、効率的にという社会の流れに背を向けて、
「信じて育てる」「答えを急がない」という姿勢を貫いた彼の生き方。
それはウイスキーの製法というよりも、ひとつの“生き方の選択”だったのかもしれません。
一杯のウイスキーが、自分の時間を取り戻すきっかけになる。
マッカランの特別さは、そんな“余白”を残してくれるところにもあるのです。
“知って飲む一杯”は、人生のような味がする
ウイスキーを「美味しい」と感じる要素は人それぞれですが、
その背景にある“物語”を知ることで、味わいがまったく違って感じられることがあります。
マッカランもまた、ただの蒸留酒ではありません。
自然や教育から生まれた哲学、そして「育てること」を信じた創業者の思いが、約200年かけて今のグラスへとたどり着いています。
グラスを傾けるたびに、「この味ができるまでに、どれだけの選択があったのか」と想像してみてください。
それはまるで、誰かの人生と対話しているような時間になるかもしれません。
受け継がれる“育てる哲学”
マッカランの始まりに立っていたのは、アレクサンダー・リードという一人の人物でした。
しかし、このブランドを“唯一無二の存在”へと育てたのは、彼ひとりではありません。
リードが蒔いた「育てる哲学」は、その後も受け継がれ、磨かれ、広げられてきました。
次回のマッカランシリーズでご紹介するのは、もう一人のキーパーソン、ロデリック・ケンプです。
ワイン商としての審美眼と経営者としての決断力を持ち合わせたケンプは、マッカランの品質をさらに高め、世界的な名声を確立するきっかけをつくりました。
マッカランという名のウイスキーは、一人の思想から始まり、複数の“伝え手”たちによって形作られてきた。
その物語の続きを、次回もぜひご一緒にたどっていただけたら嬉しいです。
小さな一口に、敬意を込めて
マッカランのように“背景を知って飲む”ウイスキーは、体験そのものが変わります。
「なぜこの人は、この選択をしたのだろう?」
そんな問いに触れたあとでグラスを手に取ると、たった一口でも、どこか「敬意」を込めたくなりませんか?
アレクサンダー・リードが守り続けた哲学。
それに触れてからというもの、マッカランを飲む時間は、私にとって幸せをより感じることができる時間になり、特別な一杯になりました。
もし、あなたが今、
「誰かの想いが込もったものに触れたい」
「丁寧に作られたものを味わいたい」
そう感じているなら――
ぜひ一度、マッカランの世界を体験してみてください。
自分へのご褒美に。
大切な誰かへの贈り物に。
きっと、“語れる一杯”が、あなたの時間に特別な余韻をもたらしてくれるはずです。