私が初めてマッカランを口にしたとき、「このウイスキー美味しい」と感じました。
それまで私はウイスキーをあまり好んで飲むタイプではなく、飲み屋さんでも避けてきた方でした。
ですが、マッカランを飲んでみて香り豊かでフルーツのような果実感がありながらも、レーズンやバニラ、チョコレートなどの甘味が強く感じられました。
その味に感動したのは事実なのですが、それ以上に、味わうことで背景にある物語が浮かんでくるような、そんな特別さを感じたのです。
それは、200年という歴史の重みや、「創業者が教師だった」という事実が、かつて教員だった私自身の経験と重なったからかもしれません。
マッカランの始まりには、自然とともに子どもたちを育て、学ぶことの本質を追い求めた、一人の教師「アレクサンダー・リード」の姿がありました。
自然を愛し、知識だけでなく「生きる力」を育てることに情熱を注いだ彼の生き方は、 やがてウイスキーづくりの哲学へとつながっていきます。
まずは、彼が教師として過ごした18年間、そしてウイスキーづくりを始めるまでの様々な思いがありました。
教育者としての出発点
スコットランド北東部の町、エルギン。
この町にアレクサンダー・リードという男がいました。
彼は「エルギンアカデミー」で、18年間教師を務めました。
今でこそ教育は誰にでも開かれたものですが、1800年代初頭はまだ“教養”が限られた階層のものであった時代。
そのような時代に、地域の子どもたちに学びの機会を与え続けたリードの姿勢は、当時としては極めて先進的だったと言えます。
しかも、彼が教えていたのは、単なる読み書きや計算ではありません。
リードは「自然こそが最高の教室である」と考えていました。
そのため、彼は積極的に教室の外へ出て、子どもたちに自然の中での学びを体験させました。
風の音や川の流れ、草木の芽吹きなど、五感を通して得る知識の価値を信じ、教育に取り入れていたのです。
教師も常に学ぶ人である
彼は、教師という職は「教える」だけでなく、「ともに学ぶ」ことが大事だと考えていました。
自然の営みに感動し、自らも土を耕し、作物の成長を見つめながら学びを深める。
自然とともに学び、自分自身も育っていく。リードは、そんな教師であろうとしたのかもしれません。
それは、自然とともに生きる姿勢そのものを教える教育だったのかもしれません。
リードの教え子たちは、黒板の前だけでなく、風に吹かれながら、手を動かしながら、感性を磨いていったことでしょう。
そして彼自身もまた、日々の暮らしの中で、自然から多くを学び続けていたのでしょう。
教育と自然から生まれた“哲学”
この「自然との共生」「学び続けることの大切さ」は、やがてリードの次なる挑戦へとつながっていきます。
教師としての役目を果たしながら、彼は徐々に自然とのより深い関わりを求めるようになりました。
そしてその思いが、後のマッカラン蒸留所を生む土台となるのです。
マッカランの原点には、こうした“人を育てるまなざし”と“自然を敬う心”が深く息づいています。
『ただの酒づくりではない。』
そこにあるのは、人と自然が互いに学び合いながら築かれていく、時間と信念による“哲学”の積み重ねなのかもしれません。
学びとは、心が動く瞬間をつくること
私自身、昨年度まで教員として子どもたちと向き合ってきました。
勤務地は、茨城県よりも自然の少ない都市的な地域。
だからこそ、意識的に自然に触れる機会をつくり、“感覚で学ぶ”体験を大切にしていました。
特に思い出深いのが毎年、地域の畑(学童農園)をお借りして、行っていた子どもたちと一緒に土に触れ、作物を育てる体験です。
畑で子どもたちと「本当に育つのかな?」という不安と、「大きくなれ」という願いを込めて種まきをしました。
そして、収穫の日。
「先生、すごい!小さな種からこんなに大きくなったよ!」
そう言って目を輝かせた子どもたちの顔は、今でも忘れられません。
それは、ただ野菜を育てる授業ではなく、小さな命の成長を見守る学びだったのだと思います。
また、授業でも、公式を当てはめて答えを出すこと以上に、「本質を理解して、友だちと話し合いながら気づいていく」プロセスを大切にしていました。
最初は分からない顔をする子どもたちも、1時間の中で、ふと表情が変わる瞬間があるんです。
「あっ、今、分かったんだな」と感じられるあの表情を見ることが、何より嬉しい時間でした。
だからこそ、リードが自然との対話を通して学びを育み、それをウイスキーづくりという形で結実させていった姿に、心が大きく動かされるのかもしれません。